怪談の学校(前編)


「ねぇ起きて、起きてよ……」
 夜空のように暗く、けれど砂粒ほどの星も見えない深い闇が揺れる。
 優しい声だった。何かを求めていながら決して強制しようとしない、慈愛に長けた温かい声音だ。その声を受けて、真っ黒な世界に波紋が起きる。
 波紋はやがて波となり、自身と共に深い闇を押し流していった。
 残ったのは鋭く痛いほどの光。
「――くん、起きてって……」
 次いで覚えたのは――
「あつい……」
 主重 公人(オモヌシ キミヒト)は目覚めるなりそう呟いた。
 全身を薄いヴェールに覆われているような、半覚醒といった状態だが暑さだけははっきりと感じ取ることができる。汗によってワイシャツが背中に貼りつき、額から浮き出た汗がなめくじのように顔を這い回るような不快感が、その感覚を強固なものにしている。
 上体を起こし「うーん」とうめきながら腕を高く伸ばす。
「ようやくお目覚めね」
 公人が体をほぐし終わるのを待っていたというタイミングで、再び声が発せられた。
 上体を捻りながら、声の主に顔を向ける。
「えっと……」
 同じデザインの机や椅子が居並ぶ、古めかしい木造の教室の一画。さっきまで公人の上半身を受け止めていた机と横並びとなった机に少女が腰掛けていた。
 長く伸ばした黒髪のサイドにリボンを結い、半袖のセーラ服から突き出た二の腕は白く細い。美人というには印象は薄いが、素朴な可愛らしさを持った少女だ。
「みんな待ってるんだから、早く行こう主重くん」
 少女はそう言って立ち上がると、公人にも立ち上がるよう視線で促してくる。
 とりあえず、逆らう理由も無いので従った。目覚めてそう間を置かずに立ち上がったことで、若干の眩暈を覚えたがすぐに立て直す。
 寝ている間に蓄積されたけだるさを、深呼吸で吐き出した。
 吸い込んだ空気は、強い陽射しで木造の教室全体が溶けているのかと思うほど湿り、微量の生臭さを帯びている。
 ――夏の臭いだ。肺がいっぱいになるほど、鼻腔から空気を吸い込み公人はそう感じた。
「それで、えっと……君は誰?」
「はい?」
 目の前の少女が、眉をへの字に歪める。
 この少女の名前がでてこない。その苦悶から思わず問いかけが口をついたが、あまりに素っ頓狂な問いだと公人自身も即座に羞恥心を覚える。
「まだ寝ぼけているのに、冗談は言えるのね」
 面白いかは別だけど、と少女は眉根をほどき微笑んだ。
「どうもハジメマシテ、私の名前は廣井 奈緒(ヒロイ ナオ)。僭越ながらあなたのクラスメイトをさせていただいている女です。趣味は読書に映画鑑賞、男の子とお付き合いをした経験はまだありませんわ」
「いや、最後のそれはいらないでしょ」
 スカートの端をつまみ、膝にためを作りながら自己紹介する奈緒に呆れ声で返す。
「いまさら君に自己紹介しろって言われても、知らないわよ!」
「なんだよ、けっこうノリノリだったくせに……」
「君がとんちんかんなこと言うから、仕方なく付き合ってあげただけよ!」
 今になって恥ずかしくなったのか、顔を赤く染めて抗議の声をあげる彼女の剣幕に圧され、公人はたじろいだ。
「……それで、私のこと思い出していただけましたか?」
「それはもう勿論」
 公人は腕を組み、深々と頷いた。
「――というかちょっと寝起きで頭が回らなかっただけだから、そう怒るなよ」
 奈緒の眉間に僅かだが皺が寄っているのが見えた。
「それにしたってヒドイよ。とつぜん『君は誰?』だなんて、主重くんじゃなかったら冗談でも絶交しちゃうんだからね」
「あーはいはい、それは嬉しいことですね」
 シャツの胸元を引っ張り、手で風を送り込みながらぞんざいに謝辞を述べる。
 似合ってはいるのだが髪を結ったリボンといい、奈緒の言動には端々で子供っぽさが見える。さきほど本人がポロリと口にした、付き合った経験が無いというのもそれが原因だと公人は思っていた。
 だからと言って、それを指摘したりただしたりするつもりは毛ほども無かったが。
「うん、主重くんは特別」
 奈緒が満面の笑みを浮かべる。
 その頬は強い夏の陽射しに照らされながらも、季節はずれな桜色に染まっているのがみてとれた。

 公人が奈緒の無垢な笑顔に心を奪われている刹那、教室隅にある扉が勢いよく開いた。
「またここにいやがった!」
「もう主重を見つけるのは奈緒に任せておくのがいいんじゃない?」
開け放たれた扉から姿を見せた男女は、公人と奈緒の姿を見るなり口にする。
「浅生くん、亜樹ちゃん遅くなっちゃってごめん」
奈緒がやや早足で歩み寄ってくる二人に頭を下げる。
「いや最初にみつけたのは廣井さんだし、気にしてないよ」
「というか、謝る必要性が無い。あるとしたら主重の方」
「俺が?」
指名を受けた公人は、自身の鼻頭を指差しながら聞き返す。
「あんたがしっかり団体行動を守っていれば、私たちがこんな途方もなく無駄に労力と時間を浪費しなくて済んだのよ。人より数倍積載重量の多い浅生の、この疲労困憊といった顔をみなさい。余分余剰の脂肪を抱え、この暑い中無駄に歩きまわされて可哀そうに」
「え、ドサクサにまぎれてヒドイこと言ってない? 寧ろオレが謝って欲しいかも」
浅生 太一(アサオ タイチ)が足を止め、非難がましい目を隣へ向けた。
「肥えたのは自分の責任で、指摘されるのが嫌なら摂生に努めなさい、フトイチ」
「その呼び方はやめてー!」
悲鳴をあげながら、太一の巨体が崩れ落ちた。
床に突っ伏した彼に一瞥もくれず、亜樹はスタスタと公人たちの傍へ辿り着いた。
他人の心を容赦なく痛めつけながらも、馬場 亜樹(ババ アキ)は涼しい顔をしている。平均よりやや低い身長に、鴉のような黒髪に眼鏡という地味な出で立ちながら、吐き出される言葉は鋭く切れ味は抜群だ。
「ひどいや、亜樹はオレのこと嫌いなのかよ……」
「? 嫌いだったら一緒にいないわ」
「じゃあ、オレのこと好き?」
「ええ、好きよ。奈緒も主重も」
こちらに真っ直ぐ視線を向けながら、淀みや躊躇いも無く彼女は断言する。
揺らぎの無いその瞳を見返しながら、公人は頬が熱くなるのを感じた。彼女の鋭利な言葉は素直さからくるもので、反面普通なら社交辞令として受け流せる好意の言葉も胸の内に深く打ち込まれ多大な影響を与える。
「亜樹ちゃん私も大好きだよ!」
「ありがとう」
あますことなく影響を受けたであろう奈緒が、感激に鼻をすすりながら亜樹にとびつく。
「オレも大好きだよ!」
真似るように、太一が飛び起きて亜樹に駆け寄る――が、
「あんた汗臭いし気持ち悪いから触らないで」
その進行は痛烈な言葉の壁によって阻まれた。
再び太一は膝をついて突っ伏した。
目の前で繰り広げられる三文芝居のようなやり取り、もう何度も見てきた気の置けない仲間たちのじゃれあい。
自然と頬が緩み、肺に溜め込んでいた笑い声が堰をきったように流れ出した。


四人は手近にあった机に腰掛け、他愛の無い雑談を続けていた。
流れはいつも同じ。誰かが話題を提供し、それをお調子者の浅生が茶化し、そこに亜樹が痛烈なツッコミを入れる。奈緒は話題提供者でない場合は聞きに徹し、律儀に相槌を返し浅生のオーバーリアクションにもころころと表情をかえる。
恋愛感についても、過去にやらかした恥ずかしい失敗であっても、どんな話題でもその流れ――役割は変わらない。
しかしこの時は一つだけ、鉄板ともいえるこの流れを崩す話題があった。
「オレ夏は嫌いなんだよね」
話題が移った開口一番に、太一の喉から低い声が発せられた。
聞きなれないトーンの声音に、公人と奈緒は頬を強張らせる。その声には明らかな不快感が含まれていたからだ。
「考えてみろよ、寒けりゃ重ね着をするなりして耐えることはできるが、暑さはもうどうしようもないだろ。薄着になるって言っても、まさか全裸になるわけにはいかないし限界がある。その上、陽射しが強くて焼けるし異常に疲れるし腹減るし、熱中症とかになったら洒落にならんぞ」
「大半はあんた自身の脂肪が悪いんじゃない」
亜樹だけは何ら気後れが無いのか普段通りに刃を返す。
「いやいや、そりゃオレが人より少し体温が上がりやすい体質だというのが、少なからず影響を与えているのは自覚しているが、同じように不満を抱いているのはオレだけじゃないだろ。毎日活発に動き回れる子供だって、熱中症でぶっ倒れるし肌も焼ける。しかし春や秋、冬だってそんなことは無いだろ!」
「言われてみればそうかも……」
太一の熱弁に聞き入っていた奈緒が短く頷いた。
「――だからオレは夏が嫌いなんだ、楽しいことなんて一個も無い!」
「?」
声の低さは変えず力強く拳を握りながら、太一は夏のネガティブキャンペーンを締めくくった。一瞬、何かを訴えるような視線を公人へ向け。
「それはあんたが夏の愉しみ方を知らないだけよ」
「これだけ暑いと――冷完備の室内からでたくありません!」
(まただ。それに――なんだ? 何か違和感がある……)
再び、話している合間に太一が視線を送ってくる。
何かがおかしい。視線の意味も理解できないが、目の前の光景にどこか疑心を覚える。
公人はまだ自分の頭は寝ぼけているのかとも疑ったが、すぐにそうではないと悟る。
「暑いならプールか海水浴にでも行けばいいでしょ」
「どっちに行っても、泳げないオレは楽しめないんだよ」
「何も泳ぐだけの場所じゃないでしょ、みんなで行けばただ水に浸かっているだけで――」
「じゃあこんど皆で遊ぶか、プールで」
二人の口論に体ごと割って入りながら、公人は窓の外を指差した。その先に夏の強い日差しを受け黄金に輝くグラウンドの隅、質素だがさながら砂漠のオアシスのごとく水面を煌かせるプールが見える。
横目でチラリと太一を見ると、向こうも視線を向けていた。満足げな笑みに組んだ腕からわずかに立てた親指が覗いている。
「え、あの……皆でって、もしかして私も数に入っているの?」
今になって自分が罠にはめられていたことに気付きうろたえる亜樹。
「決まってるだろ、言いだしっぺなんだから。太一に夏の楽しさを教えてあげないと」
「いや、私は別に夏の楽しさを教えてあげようなんて思ってはいないし……突然プールに入ることになっても水着用意してないし……」
「じゃあ水着が用意できた後ならいいんだな」
「それは――その……早急に決定するには……」
余程動揺しているのか、訥々と歯切れ悪の悪い返答を繰り返す亜樹。彼女がここまで取り乱すのを見るのは初めてであった。
たっぷり三十秒ほど、節目がちに体をもじもじとさせてから彼女は告げた。
「…………恥ずかしいのよ」
口を堅く引き結び、公人と太一を睨めあげる亜樹。だがその表情ははっきりと朱色に染まっており、脅威は微塵も感じられない。
寧ろかわいいとさえ公人には思えた。隣に立つ太一も、普段は言葉の刃を無遠慮に振り回す少女が、羞恥心に歯噛みする姿を眺め悦に浸っている。
「二人ともグラマーには程遠いけど、出るとこはしっかりでていますからな太一さん」
「そうですな公人さん。ボリューム不足はいなめませんが、期待できますなー」
「「はっはっはっはっは!」」
二人揃って、抑揚の無い哄笑をあげる。
全てはこの決定に導くために太一が仕組んだ芝居、それにまんまと乗せられた亜樹は恥ずかしさに悶え苦しんでいる。
「ボリュームが不満なら、浅生の体でも眺め回したほうがいいんじゃないの!」
怒声で全身を痺れさせる羞恥心を吹き飛ばそうと試みるが、所詮は虚勢でしかない。
「オレは見られても一向に構わないぞ。あくまでも等価交換だからな!」
太一はまばたきする間も無く返答し、先んじて実践とばかりに亜樹の体をつむじから足の指先まで、舐めるように視線をはわせた。
反射的に視線から逃れようと、亜樹が自分を抱きしめるようにして背中を丸めた。
二人の力関係は今や完璧に逆転していた。どれだけ辛辣な罵倒を吐こうと、太一は眼力だけで彼女を圧倒することができた。
またとないであろう珍しい光景に見入っていると、シャツの背中を引っ張られ公人は振り返った。居たのは当たり前だが奈緒だった。
亜樹と同じく――いや、それ以上に顔を羞恥に染めながら彼女は聞いてくる。
「あの、私も水着じゃないと……ダメ?」
「「「勿論」」」
どういうわけか、亜樹までもが即答していた。

「ところで夏の楽しみといえば泳ぐだけじゃないよな」
一通り話がまとまる――もとい、女子二名が覚悟を決めるのを待ってから公人は話題を移した。それぞれ手近な椅子に腰掛けた三人が、雑談を止めて視線を彼へ集める。
「……そうね、後残っているのは……虫捕りかしら」
「いや流石に虫捕りはねえだろ、この歳で蝉集めたって誰も誉めてくれんし嬉しくも無い」
「何も見せびらかすためだけに虫捕りがあるんじゃないわ。隙をさらす獲物に気付かれぬように、息を殺し足音を忍ばせ、じわじわと追い詰めていくスリルと快感。愉悦ね」
「いつから虫捕りはハンティングになったんだよ」
虫でも追い払うように、手を仰ぎ亜樹の解答を一蹴する公人。残る二人に解答を促す為に、視線をぐるりと回す。
「うーん、キャンプとかかな。皆でカレーつくって、テントでお泊りするの」
傾げていた首をピンッと伸ばし、奈緒が恐らくはカレーをつくっているつもりなのだろう、オールを漕ぐようなジェスチャーを交えながら答えた。
「オレは特に思い浮かばないな。さっきも言ったけど夏は暑いから苦手で、あんまり思い浮かぶものが――ああでもキャンプは昔ボーイスカウトでやったが、夏場は地獄だったな。朝起きたら、こぶし大の蜘蛛が顔にのっててな――」
「いやー! やっぱりキャンプはダメ、危ない!」
それ以上話を聞きたくないと、耳を塞ぎ悲鳴を上げながら亜樹の背に隠れる奈緒。その反応を面白がり、太一が頭の横で指を奇怪に動かしながら追いかけ、亜樹に蹴飛ばされる。
「まあキャンプも悪くないんだけどさ、どうしても用意に時間がかかるだろ」
自分を置き去りに三人が盛り上がり始めたのを見て、公人は無理やり話を戻した。
この面子で夜通し外で遊び倒すというのは確かに魅力的だが、キャンプは今日明日で突発的にできるというものではない。慣れている人間がいないので場所の確保が必要になるし、飯ごうなどの道具も残念ながら手元に無い。
「手ぶらでかつ、どこでもできる夏の楽しみといえばやっぱあれだろ、怪談話」
「………………え~」
間を置いて奈緒が不満の声をあげた。まだ亜樹の背中に隠れているが、チラリと覗いた表情は眉間に深い皺が見えた。
「いやそりゃキャンプに比べたら、かなり見劣りするけど夏遊びの定番だろ怪談は。涼しくもなるし一石二鳥」
「涼みたいだけなら、オレは冷房の効いた部屋で適当にダベりながらゴロゴロしている方がいいんだけどなー」
「そうね。涼しくなるといっても、一時だけのあくまでも体感の話しだし」
「道具はいらないけど、それ以上に用意が難しい気もする。知っている怪談話なんてそんなにたくさん無いし。アイドル監獄、猫羊羹、あとは……」
友人たちが一斉に不満の声をあげた。ここまで友人たちに揃って否定されたことが無かったので、公人は少なからずショックを受けた。
「別に皆で怪談話を持ち寄って、百物語でもやろうってわけじゃないだ。俺が小耳に挟んだ怪談話をちょっと実践してみたいっていうだけ」
三人の反応は冷ややかなものであったが、公人はめげずに話を続けた。

 怪談、七不思議そういったものはどの学校でも一度は耳にする。
学校という場所がどこも似通っている為だろう、その中身は似通っているものばかり。
深夜に動く二宮金次郎の銅像に理科室の人体模型。謎の生物や人面魚が潜む観察池。勝手にメロディを奏でるピアノに目を光らせ見つめてくる音楽家の巨匠たち。
そんな諸々の怪談が時に改変され、入れ替えられどこの学校にも定着して語り継がれる。
だが公人が耳にした怪談はそういったものとは一線を画している。
少なくとも公人は伝え聞いたときにそう思った。
前世を映す鏡。
何の捻りも無いが、それが公人の耳に入った怪談の名称であった。
――正確に言えばこれは怪談ではないのかもしれない。
怪談と呼ばれるものは殆どが体験談であるが、この「前世を映す鏡」というものは物語ではなく手法を伝える、いわば都市伝説であった。
性質的にはこっくりさん等のまじないに近いと考えている。
放課後、視聴覚室に置かれた全身鏡に水をはると前世の姿が映る。聞いた噂話はたったそれだけの内容だった。
二十歳までそのことを覚えていたら死ぬなどという制約や、既に死んでいる過去の自分に体を奪われるなどというオチがついているわけでもない。
「簡素さがなんか逆に、普通の怪談話より真実味をもたせているよな。それにただ一定の行動をとるだけで、自分の前世がみられるなんて面白そうじゃないか。試して損は無い」
公人はそう説明を締めくくり友人たちを見回す。その顔には自信がみてとれた。
「オレにはよくある七不思議を揃える為に無理やり付け加えられた話に思えるがな」
「同じようなものばかりだとつまらないから、少し変化球のようなものを混ぜてみたいことがあるのよね。たいていが失敗している」
「私の前世はマングースだって、前占いやさんに教えてもらった」
三人からの反応は、やはり公人が欲していたものではなかった。
「何でみんなそう探究心がないかなー」
「オレは寧ろ何でそんなもんにお前が興味あるのかの方が気になるぞ」
「えっ?」
あまりに無関心な反応に頭を抱えていた公人は、太一の言葉に視線を跳ね上げる。
「そもそも怪談とか都市伝説なんてアホらしいだろ。それに加えて前世? そんなもん万が一本当のことだったとして、知った所でなんになるんだよ」
「それは――」
公人は言葉につまり、視線を再び机上へ落とした。
確かに前世を知った所で、何か得をするようなことは一つも無い。話の種にはなるだろうが、それだけなら奈緒のように真偽不明の占い結果でも適当に口にしておけばいい。加えて今いる面子全員でやれば、その時点で知識は共有されてしまい話の種も何も無い。
それに指摘を受けて改めて考えてみれば、自分自身どうしてここまでこの怪談を追いたいのかわからなかった。別段前世などというものを気にしたことは無かったし、生まれ変わりや霊魂などというものを信じていたことも無い。
だが今はどうしても、この怪談を実行したいという想いにかられている。
「多分、この面子で何かしたいっていうのがあるんだと思う」
思いつく理由はそれぐらいだった。とってつけたようにも思えたが、口にすればそれなりに重みがある。
公人はもう一度、上目遣いに顔を上げる。そして友人たちの顔を順繰りに覗きこむ。
気の置けない、の友人たちと過ごせる限られた時間を、もっと多くの思い出で埋めておきたい。そんな想いが、公人の胸に熱を帯びていった。
「……ちぇ、そう言われたらもう何も言い返せないな」
太一が後頭部をかきながらボヤいた。
「卑怯だわ」
亜樹は短く感想を述べた、棘のある言葉だがはにかんだ笑みが見える。
「私は……どうだろう」
太一と亜樹の二人が歩み寄りの姿勢をみせてくれたことで、提案は可決されたと確信していたら、一転して奈緒が表情を曇らせた。
「嫌なのか?」
「うんうん、嫌ってわけじゃないけど、二人はそれでいいの?」
顔色をうかがうも、彼女は避けるように太一と亜樹の顔を見回す。
「まあそこまで強固に反対するのも、何と言うか気が引けるし」
「主重がここまで言うんだから、もう私たちじゃどうしようもないわ」
何か引っかかりを覚えるが、とりあえず二人の賛成は覆らなかった。
「……二人がいいなら、私も賛成」
奈緒が渋々と肯定の言を述べた。あまりの気落ちした声に、さすがに腰が引けてしまう。
「嫌だったら無理に付き合わなくてもいいんだぞ……」
「嫌ッ! 私だけ除け者なんて絶対にヤダ!!」
「いや除け者なんかじゃなくて、元々俺の勝手な都合だし、嫌なことに無理やりつき合わせるのも悪くて」
「別に嫌じゃない。主重くんと一緒がいい!」
気を利かせたつもりだったが却って気を悪くさせてしまったらしく、奈緒はヒステリックに声をあげる。
「はいはい、じゃあ広井ちゃんも『みんなで一緒』がいいみたいだし、公人の言う怪談っていうのを試してみようぜ。あーでも、もう時間が遅いか」
不穏な空気が漂い始めたのを察知してか、太一が手を叩き一際明るい声で言った。
窓から外を見れば、いつの間にか太陽は陰に沈みかけており空は赤みがかっている。
今から怪談を実行すれば、たっぷりと日が落ちた頃合だろう。そちらの方が雰囲気は抜群なのだろうが、そんな遅くまで校内にいては何を言われるかわからない。
それに今は視聴覚室の鍵を持っていない。
「なら実行は明日の放課後で。お昼の内に必要なものをそろえておく、それでいい?」
亜樹が全員にたずねる。異論は誰からもあがらず、今日はおひらきとなった。
「絶対一緒がいい……」
教室から出て行く際、最後尾にいた奈緒の呟きが聞こえた。

翌日の昼間、分担して怪談に必要な道具を集めることになった。
亜樹と太一が視聴覚室の鍵を借りに行き、公人は奈緒と一緒に学内の物置に侵入していた。薄暗く使わなくなった教科書などが乱雑に置かれ、足の踏み場も無い中で二人はあるものを探していた。
「しかし何だかんだで、みんな知っていたんだな、あの怪談」
ラッセル車のごとく膝と腹で積みあがった書籍類を押し退けながら、公人は物置の奥へと突き進む。彼が生み出した道を、とことこと奈緒が後からついてくる。
「みんなが知っているから、怪談って成り立つんだよ」
「言われてみれば、誰も知らない怪談なんてただの作り話だよな。多くの人に広まって、噂になって始めて怪談としての地位を得るわけだ」
「少なくとも、定期的に生徒が変わる学校じゃ多くの人が知っていないとすぐに変わっちゃうもんね」
「――なら、俺が聞いたのは既に変わった後だったんだろうな」
今日になって太一から、昨夜話した鏡の怪談には幾つか足りていない箇所があると指摘を受けた。
鏡に水をはる際に、その場にいる全員があるカップを用いて水を足していかなければならないと。同じ指摘はその後、亜樹からも受けたので二人が口裏をあわせて担ごうとしていない限り、そちらが正規の情報なのだろう。
「しかしここどんだけ散らかっているんだよ。それにこの教科書の山、単に長年溜め込んでいるだけってわけじゃないだろ。種類が多過ぎる」
わざわざ中を開けて調べる気も無いが、同じ教科だが別の出版社から発行された教科書が複数保管されている。
「……そんなことより埃っぽくて、私もう限界かも」
口元をハンカチで覆いながら、奈緒が泣き言を言う。
それは公人の方も同じだった。寧ろ先行して探している分、吸い込む埃の量は彼の方が数段多い。それでも手のひらで守ることもなく、進路を塞ぐ保管物を薙ぎ払いながら歩みを続ける。
公人には埃よりも熱の方が問題であった。この部屋は倉庫として扱われているだけあって、窓は明り取り用の小さいものが天井と壁の境界にある一つだけだ。
それも固く閉じられており、空気の入れ替えや循環などの仕事はまったく行っていない。
とにかく暑い。まだ入って五分も経っていないのに、既に顎先から大粒の汗が幾つも零れ落ち、熱気で体が浮き上がっているような錯覚すら覚える。
膝をあげるのが億劫でしょうがない。けれど奥に行くほど障害物は大きくなっていき、それら全てを蹴散らしていくことはできない。
足場を探しながら、一歩一歩時間を掛けて進む。
そしてようやく、目的の物を見つけた。
「さて、話の通りなら鍵はかかっていないはずだが……」
部屋の隅にひっそりと設置された、腰ほどの高さの棚にトロフィが並んでいた。シャンパングラスのように細長く、木目調の台座はついているがそこには何に対して賞与されたものか分かる記述はない。
「一つ、二つ……あれ? ちょうど四人分だ」
棚に並んだトロフィを数える。奈緒、太一、亜樹、そして自分。偶然にもトロフィはこんかい必要な人数分にぴったりあった。
棚は大きくないが、まだ物を置くには十分なスペースがあるのに――
(いや、そもそも何でこんなとこにトロフィをしまっているんだろうか)
こういったものは普通、来客が絶対通るであろう廊下などの見やすい場所に飾っておくものだ。実際、そういった場所が職員室の隣にある。
増え過ぎて置き場が困ったからといって、こんな倉庫の奥に押し込んでおくことは無いだろう。何か理由があるのか?
「どうしたの主重くん。あ、私が持とうか?」
考え事をしてい動きが止まっていたのを不思議に思ったのか、奈緒が傍に寄ってきて陳列されたトロフィを見ながら聞いて来る。
「あ、いや俺が運ぶよ」
我に返り考えても仕方ないと、トロフィに手を伸ばす――
『ゴメン――、――サイ』
「えっ?」
トロフィの一つを掴むと同時、囁き声のようなものが聞こえ公人は手を止めた。
「何か言ったか?」
前屈みになったまま、肩越しに振り返り訊ねるが、奈緒はぶんぶんと首を横に振った。
気のせいだったかと、残りのトロフィも引っ掴む。
『ワタシノセイ――キミヒトク――』
もう一度、謎の囁き声が聞こえる。
どうやら奈緒の声でないのは確かなようだった。声は聞き取り辛いがまるで耳元で囁かれているようにはっきりとしている。電波の悪い電話のようなものだ。
奈緒は傍によってきたと言っても、屈んでいる分だけ距離がある。
『ゼンブワタシガ――コンナコト――』
それに何より声音が全然違う――気がする。それに途切れ途切れで、気を抜けば聞き流してしまいそうな不安定な声だが、聞き覚えがあるように思える。
「やっぱり私が持っててあげるね」
声に気をとられまた公人が棒立ちになっているのをみて、腕に抱えた四つのトロフィを奈緒が取り上げる。
「あ、いや待てよ」
「へーきへーき、これ全然重くないもん」
慌てて伸ばした公人の手を軽々とかわし、奈緒が足早に出口へと向かう。
「それに主重くんにはここを片付けてもらわないといけないしね」
「……ええ、マジでかよ!」
「当たり前じゃない。私じゃこんな本の山を動かせないもん」
「それは……確かにそうだ」
トロフィ持ちの労よりも、数倍片付けの方がしんどいはずだ。
「じゃあこれ先に持っていっておくね」
言うなり奈緒は片手を振って、扉の陰に消えていった。
残された公人は、物置の真ん中で肩で大きく溜息を吐いた。

「いやーよく見れば、怪談抜きにしても怪しさ満点だな、この全身鏡」
視聴覚室に入るなり、太一が言った。
一般の教室でいう黒板が掛かっている場所に吊るされた、投影式のスクリーン。その横になぜか豪奢な装飾縁がつけられた全身鏡が置かれている。
「こんなとこに鏡が置かれていたら、映写機を使用したときに反射して見づらだろうに」
「でも映写機――そもそもこの部屋つかったことないよね」
太一の脇を抜けて、中央に置かれた映写機を物珍しそうに観察する奈緒。
公人もこの部屋をつかった記憶は無い。小学生の頃ならば、ビデオ教材なり教育番組をクラス全員で観賞することもあったろうが、高校生になった今では機会は少ない。
「それでこの鏡に水をはればいいのね……」
教室に入るなり、真っ先に目標の鏡に向かっていった亜樹。
「とりあえず立てたまんまじゃできないわ。寝かさないと――男子」
入り口付近でたむろしている男二人に手招きして呼びつける。
「ぐぉ……やっぱ重いな……」
「これだけ装飾がついていたら、重いわな。まったく誰のセンスだよ」
「は、腹が邪魔で……持ちにくい」
よたよたした足取りながら、二人で力を合わせて鏡を運ぶ。
「もう……ここらへんで、いいよな? 別に場所の指定とか、なかったろ?」
限界に達したのだろう、太一が足を止め懇願してくる。公人が首を縦に振るのとほぼ同時に、太一は手を離した。
支えを失い、鏡の一端が床に叩きつけられる。人の少ない教室に、硬い打音が響いた。
「おい太一、危ないだろ。割れたらどうするんだよ」
「大丈夫だって、そう簡単に割れるものじゃないから」
楽観的な太一とは違い、公人はことさら慎重に鏡を寝かせていき、ぎりぎりの所で指を抜いた。
「それで次はどうするんだっけか?」
「後はもう、ここに水をはるだけだな。えっと、カップは――」
「なら私と浅生で組んでくるわ」
いつの間にかトロフィを抱えた亜樹が、素早くドアへと向かった。その途中で、一休みしようと机に腰掛けた太一のすねを蹴飛ばす。
「ちょっと待ってくれよ亜樹~」
情けない声をあげながらも、小走りに彼女の後を追う太一。
二人の姿が廊下へと消え、教室の扉がパタリと閉じられた。
「二人とも仲いいよね」
二人が出て行った扉をじっと眺めていると、奈緒が口を開いた。
「そうだな。何だかんだで、息があってるしな」
お調子者の太一に、常に落ち着いた亜樹。あの二人がいるといつも漫才コンビのようにテンポよく話が弾む。
「私と主重くんは――どうかな?」
「どうって、何を答えればいいんだよ……」
あまりに抽象的な問なので答えようが無い。けれど奈緒はあからさまに気落ちした表情で公人を見つめる。
その瞳をみて、公人は言葉を探した。
「……とりあえず奈緒といると楽しいし――好きだよ」
頬を?く指先に熱を感じながら、公人は答えた。
奈緒の表情が、瞬く間に輝きを取り戻し頬がこぼれるのではと思うほど微笑んだ。
「私も主重くんが好き」
そして感極まった声で言う。
――心臓が大きく胸を打った。
「い、言っとくけど、俺が好きなのはみんなだからな。太一も、亜樹も」
「うん」
羞恥心が極限に達し、慌てて付け足すも奈緒の表情は変わらない。
何のフォローにもならなかったようだが、これ以上何を言っても墓穴を掘るだけと判断し、公人は平静を取り戻そうと奈緒に背を向けて深呼吸する。
「……私もみんなといるのが好き」
それは喜びをかみ締めているように、どこか儚げで優しい声音だった。
「だから絶対に離れたくない、ずっと一緒にいたい……」
彼女の声を背中で受け、いつの間にか胸の内で暴れていた心臓が鎮まった。
「あ――――」
何か返そうと、振り返った所で公人は声を失った。
奈緒はまだ微笑んでいる。
子供っぽいが可愛らしい、満面の笑みだ。
けれどその頬には、涙が一筋尾を引いて流れていた。