竹木目



 姉がその箱を拾ってきて一ヶ月経つ頃にはもう姉は学校に行くのをやめていた。

 それどころか同じ家に住んでいて顔を合わせる事も稀になってしまった。

 母も父も困り果て悩んでいたが、部屋に入ろうとすると姉は尋常ではない暴れ方をするので、何度かの挑戦の後、成り行きに任せることにしたらしい。父も母も姉が大好きだ。勿論僕も姉が好きだ。でもそれ以上に姉はあの箱が大好きなんだろう。 明らかに常軌を逸した姉の様子を見ていると、僕は悲しくなってくる。

 あの箱だ。

 それの入手経路については知らない。ある日姉が持って帰ってきたのである。

 少し赤みがかった銀色の正四面体だ。大きさは両掌で包み込めるくらい。ルービックキューブ程だ。

 何の模様も無く、勿論これといった仕掛けがあるわけでもない。何よりその箱は開かない。なにやら中に入っているらしく、振ると音がするらしいのだが、どうしても開け方がわからないのだ。僕は姉が何度かその箱を開こうと、色々な工具を試しているところを目撃している。

 僕にはどうも姉の気持ちが少し理解できるかもしれない。

 なぜならば僕もあの箱にとても魅力を感じているからである。 なぜあんな箱が? それは言葉にすることはきわめて難しい。心の奥底からの欲求とでも言えば近いかもしれない。とにかく、欲しいのだ。欲しくて欲しくてたまらないのだ。姉がそれを独占していることが許せない。

 ある日僕は覚悟を決めて姉の部屋に忍び込んだ。

 姉が決まって用を足しに行く時間を前もって観察し、その隙を狙ったのだ。

 箱は机の上に鎮座していた。僕は何の迷いも無く其れを手に取る。ずっしりと心地よい重みがある。

 金属特有のひんやりとしたさわり心地を堪能しているうちに、僕は時間を忘れていた。

 もっと触りたい。この箱に触れていたい。僕は箱をそっとポケットに入れて、部屋を出た。

 しばらく僕が自室で箱を弄んでいると、姉がやってきた。

「返して」

 迷い無く僕を疑ってきた。もっとも、僕以外に疑いようは無いか。

 僕は首を横に振る。

 姉が僕に掴みかかってくる。振り払う。箱が僕の手からこぼれ落ちる。慌てて拾おうとするが、既に姉が胸に抱きしめている。

 姉は僕をにらみつけると、これ以上ないというほど愛しそうに箱を抱え、部屋を出て行った。

 僕は悔しくてたまらなかったけれど、しばらくすると何が悔しいのかがわからなくなってきた。

 それからというもの、姉はいよいよ部屋から出てこなくなった。

 僕はでもそういうものなのかもしれないとも思う。

 ただそれが箱であっただけの話で、人間っていうのは大体そういう風に出来ているのかもしれない。もしその箱より魅力的なものがあればきっとあの箱は文字通りお払い箱になるんだろうし、期間限定の愛情を精一杯あの箱にそそげばいい。






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