これは、きっと何処かの物語…………
いちにちまおうさま
とある世界のいつかの事です。世界のすみっこのすみっこに大きな魔城が立っていました。
そう、魔城です。魔物達が住む城なので、魔城です。
ニンゲンなんかは全くいません。昔はそこそこにいましたがある時、何処からともなくやってきた沢山の魔物達と、その王様がお城を奪って住み着いてからは、徐々にいなくなっていきました。
なぜでしょうか? それは、城に入りきらなかった魔物達や、城に住み着いた魔物達のうわさを聞きつけた。また別の魔物達がお城の周りに集まり、住み付いたからです。さらに言うと、魔物達はニンゲンがダイスキでした。
ニンゲン達がいないのも当然です。だって――全員逃げるか食べられたのですから…………
どちらにせよ、ニンゲン達は帰って来ません。やって来る事もありません。その頃には、魔物達が住むお城一帯を人々は魔場と呼び、恐れ、近づこうともしなくなっていました。時折、ニンゲンの国から沢山の兵隊や、数人の英雄達が魔物達をやれ討たんと鼻息荒く訪れましたが、結局は、皆仲良く魔物達の胃袋に入る事となりました。英雄も、兵隊も、皆同じ『オイシイ』ニンゲンでした。
……初めはそんな事が何度も続いていましたが、やがてニンゲンも諦めたのか、ある時を境にぱったりと来なくなります。
それからは数年に一度。自称勇者がやってくる時にしか、ニンゲンを見る事が出来なくなっていました。
あまりにも来ないので、今ではニンゲンの味はおろか、その姿さえ知らない魔物達がほとんどです。皆すっかりベジタリアンになりました。
でも、そのおかげで魔物達は健康そのもの、病気なんてどこ吹く風と、皆のびのび、勝手気ままに暮らしています。
……そんな、緩やかに時が過ぎていく中で、魔物達の王様も一代、また一代と替わっていきました。
これは、そんな一人のまおうさまの一日です――
まおうさまの一日は、真っ黒な日の光が部屋に差し込んだ時から始まります。
「――ぅ、ぅん」
髑髏の模様がとても恐ろしげな天蓋付きのベッドの中、ちょこんとした膨らみがかすかに震え、やがてそれは、もしょもしょと布から抜け出てきます。
――出て来たのは女の子でした。ちいさなちいさな女の子。両耳の近くに二本の角を生やした。とても可愛らしい女の子です。
彼女こそが第二十一代目魔王の『まおうさま』でした。
「ふぁ……ふぅ」
ちいさなお口であくびを一つ。その後もしばらくむにむにとしていましたが、やがて眼をぱっちりと開けると、ベッドから元気よく飛びおり、朝の一言を言います。
「おきました! わたしッ!!」
今日も、まおうさまは絶好調のようです。
まおうさまのお仕事は魔城に住む家臣達との挨拶から始まります。
「みんな、おはようッ」
『お早う御座います。まおうさま!!』
魔城の敷地内にある。広い々々中庭に、大きな声が響きます。
皆ゾンビだったり、ドラゴンだったり、大きな一つ目巨人だったりしますが、誰もがまおうさまの声に元気よく答えます。
元々魔物達は皆、安住の地を与えてくれた魔王様に敬意を持って接していましたが、愛くるしく、また、何事にも一生懸命なまおうさまには、ただ純粋に親愛を持って接していました。
木で造られた高台に立ったまおうさまが、ハキハキとした声で言います。
「それじゃあみんな、はじめるよーッ」
『ウォォォォォォォォッ!!』
雄叫びを上げる魔物達に、まおうさまはうんうんと満足げに頷き、足元の蓄音球(音を溜め込み、いつでもそれを聞く事が出来る。魔法のアイテムの事です)に手をかざしました。
流れて来たのはおどろおどろしい、だけど不思議とテンポの良い曲です。
「いち、にぃ、さん、しぃッ!」
『ゴォッ、ロクッ、シチッ、ハチッ!』
皆元気に朝の体操です。足や手、頭をぶんぶん。時々尻尾や羽もぶんぶんと動かします。ですが、まおうさま以外の目は、いつもまおうさまに向けられていました。
「いちッ」
ぴこッ
「にぃッ」
ぱたッ
「さんッ」
ぴこぴこ♪
「よぉ……ん!」
ぱたぱた♪
一生懸命小さな尻尾や羽を動かすまおうさまに、今日も皆の目は釘つけです。しかも、視線を感じたまおうさまはもっと頑張ろうとします。その姿に皆すっかりイイエガオでした。
まおうさまのおかげで、先代の魔王様の頃はあまり体操に熱心で無かった魔物達までもが、一心不乱に体と目を動かすようになりました。
今日も、魔城の皆は元気いっぱいです。
朝の体操も終わり、皆は一様に気合を出して、自分の仕事に付き始めました。
一つ目巨人やドラゴンなど、強さに定評がある魔物達は皆交代で門の見張りです。それとは反対に、小鬼や狼男のような亜人など、手先が器用な者は、庭の手入れや厨房の管理、魔城の清掃などに勤しみます。見事なまでの適材適所でした。
……もっとも、魔物達は皆ニンゲンよりも強い存在で、誰が門番になっても大して変わりません。実際昔はそうでした。
ですが、今はまおうさまが魔王様です。まおうさまに何かあっては大変と、地下の宝物庫や、魔王様の謁見の間前で待ち構えていた特に強靭な魔物達が、自ら進んで門番を務めていました。
なので……
「フッヒャァァーッ、この勇者様が魔王に引導を渡してくれらぁぁぁぁぁぁひゃひゃひゃひゃひゃぁッ!!」
などと、以前、息巻いてやってきた少し頭の可哀そうな勇者も、門前に集まる貫禄ある光景を見て。
「あ……すいません。自分マジ調子のってました。すいません。マジ勘弁してください。あ、はい、自分、勇者じゃないんで、はい、すいません。ただの無職ですいません……」
と、脱兎の如く逃げ帰った後、恐怖のあまり何かが吹っ切れたのか、実家のパン屋を継ぎました。
ちなみにその頃、まおうさまはと言うと……
「ふ、ふはッ、ふははははははー」
城の奥、謁見の間で、今のように高笑いをしていました。
傍らでは、最初の魔王様の時からずっと腹心を続けていた亡霊女騎士が、その様子を見て微笑んでいます。
この時間に毎日、彼女はまおうさまに魔王様に代々伝わる高笑いを教えていました。
「さぁ、もう一回ですよ」
「うん! 『ふははははっ』」
「あぁっ、今日も素敵すぎますぅッ!」
可愛らしい高笑いは、お昼の時間が来るまで続きました。
その後はたくさんたくさんお勉強をして、遊んで過ごす。
それが、今までずっと続いてきたまおうさまの日常でした。
ですが、今日だけは違いました。
魔城内の大きなテーブルで、たくさんの家臣達とお昼を取っていた時の事です。お口いっぱいに食べ物を頬張ったまおうさまの元に、門の伝令が信じられない知らせを届けてきたのです。
……門番達が、ニンゲンの剣士に倒されそうになっている。そいつはまおうさまを呼んでいる。と……
まおうさまは皆の止める声を置いて、とてとてと走り出します。頭の中は、門番をしていた皆の事でいっぱいでした。
大丈夫だろうか、痛い思いをしていないだろうか……そんな事を考えながら門まで来たまおうさまは声を失いました。
鋼の鱗を纏ったドラゴンも、大木より太い手足を持った一つ目巨人も……皆が皆、一人のニンゲンに翻弄されていたのです。
男は壮年でしたが、動きは信じられないほど滑らかで、鮮烈です。
魔物達の攻撃を、得物である大きな剣で弾いて反らして切っていく……そんな事を、淡々と繰り返します。その度に、一人、また一人と魔物達は倒れていきました。
「だいじょうぶッ?」
慌てて倒れた魔物に駆け寄ると、皆荒い息を吐いているものの、幸いなことに傷一つありません。
倒れた原因は、魔物達の食生活でした。
皆野菜ばかり食べていたので、彼らの体力はすっかり無くなっていたのです。
ただ戦っているだけで、切ってもいないのにばたばたと倒れていく魔物達に、剣士はその様子に訝しみながらも、ついに魔物達全員を倒しました――それだけではありません。魔物達にとどめを討とうと倒れ付した一人に近づいていったのです。
――もう、我慢出来ませんでした。
「もうやめてッ」
「魔王様ッ?」
剣士の前に皆を守るように立ちはだかるまおうさま、魔物達の慌てた声に剣士はまおうさまの方を向き、問い掛けます。
「……貴殿が魔王か?」
「……そう、だよ」
答えるまおうさまに、男は問い掛けました。
「小さな魔王よ、私は国王の命により貴様を討ち倒しに来た……だが、魔物達まで殺せとは命令されてはいない。もし、貴殿がその首を大人しく捧げると言うのであれば、この者達に危害は加えない……如何か?」
「ッ、いけません。お逃げくださいまおうさま!」
剣の切っ先をまおうさまに向けて言う剣士の言葉に、魔物の一人がまおうさまに逃げるよう、促します。その言葉に、他の魔物達も口々に促し始めました。
まおうさまは王様なのです。それを家臣が守るのは当然だと。
……ですが、その声にまおうさまは静かに、けれども力強く首を振り、そして、言いました。
「……それは、ちがうよ。まおうさまだから、だめなんだ」
「…………」
剣士のつめたいつめたい目が、まおうさまに突き刺さります。
まおうさまは震えが止まりませんでした。足は笑って、でも、目からは涙がこぼれ落ちそう。
……それでも、まおうさまは逃げませんでした。剣士をきゅっと睨みつけて、言いました。昔、まおうさまのおかーさんが教えてくれたまおうさまとして、一番大事な事を――
「おかーさんだから……まおうさまは、みんなのおかーさんだから、まおうさま。おかーさんはみんなをまもるからおかーさん――そして、わたしはまおうさまなの、だからッ! わたしは――!」
だいすきなみんなをまもるんだッ!
声が魔城中に轟きます。拙く、それでいて何処までも気高い声が轟きます。
誰もがまおうさまを――魔王様を見ました。魔物達も、そして、剣士も。
「…………左様か」
それを聞いた剣士は、静かに頷くと……なんと、剣を鞘に仕舞い、片膝を着いたのです。
「ふへ?」
突然の剣士の行動にまおうさまは、おかしな疑問の声を上げます。それに剣士は僅かに微笑むと、頭を垂れて言いました。
「先程までの無礼、誠に申し訳ない」
そして、剣士は語り始めました。
国からの命で来た剣士と言うのは嘘と言う事。
自分は、かつて大きな国で国王を護衛していた事。
けれど、国王やその家臣は酷く横暴で、自分勝手で――自分はそんな国に嫌気がさして、国を抜け出した事。
腕だけは確かだったので、他の国でも似たような事をしていたが、どの国も大して変わらなく、果てには全ての国を見終わって、ニンゲンの国に絶望し……最後の最後、魔物の王がいると言うこの地にやってきて、王様を試してみようと思った事――そして、とうとう自分の剣を捧げるべきクニを見つけた事……
「無論、無礼は承知の上……だが、だがしかし、どうか私を――」
貴方のみんなに入れては貰えないだろうか。
……普通なら、いくら誰も大きな怪我をしていないとは言え、剣士のした事はとても許されるものではありません。ニンゲン達の国では殺されても可笑しくありません。
――でも、ここは魔城で、魔王様は、まおうさまでした。
「うん、いいよ! みんなもそれでいい?」
……答えは皆の笑顔で決まりました。
そして……
「みんな、おはようッ」
『お早う御座います。まおうさま!!』
魔城の敷地内にある。広い々々中庭に、大きな声が響きます。
皆ゾンビだったり、ドラゴンだったり、大きな一つ目巨人だったりしますが、誰もがまおうさまの声に元気よく答えます。
そして、その中に剣を持ったニンゲンの男が一人…………
今日も魔城は平和でした。
おしまい。