これは短な物語。登場人物、少女とキミサ。それだけ、それだけ。

 尺も無ければ語るもわずか。すくない、すくない。

 小さじ一杯の物語。だけども、だけども。

 それも一つの――物語。

老精キミサは今日を往く


 夜に少女が、涙した。

 原因は昼間、小学校にて……


 クラスメイトとの諍い。


 始まりは些細。結果は深刻。

 老若男女、すべからく。毎年月日、どこかにて……ケンカなんて、そんなものだ。

 とはいえ、それは傍観者だからこその意見。当事者にとっては堪ったモノでなく……

「――明日。どうしようかなぁ」

 これが親友なら気軽に声の一つでもかけて解決させるのだが、生憎残念。相手は知り合い以上、友人未満である。何とも微妙な立ち位置の存在に、少女は対処の仕方を悩ませていた。

「うむむぅ……」

 思高回転、超考速。

「――さっぱり分かんないッ!」

 即挫折。

 無理もない。何だかんだで少女はまだ十歳。良い年した大人達でさえ悩む問題。少女が解くにはあまりにも勉強不足だった。

「…………ねよ」

 少女が取った行動は、全てを明日の自分に任せると言う決断。

 間違いでもない。世の中、何だかんだでそんなものであった。

 少女の頭が徐々に夢へと、優しく浸食されていき…………

                    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇


「――って、ここどこ?」

 ……気付けば少女は訳の分らないところにいた。

 訳の分からない……そのままの意味だ。

 空は桃色、大地は蒼く。ついでに側を流れる赤色の川は、何故かぽこぽこと、そこはかとなく危なげな湯気を放っている。

 異常だった。正しく異常……

 だからこそ。

「なんだ。ゆめか」

 疑問解決。

 夢の中で夢に気づく、誰しもがたまに巡り合ってしまう出来事だった。

 とはいえ、どうしたものか……少女は首をひねって考えるが。

「――せっかくだし、ちょっと探検してみようかな?」

 夢と気付けば、周りの異景もただの見世物同然。たった今、都合よく少女に宿った飽くなき探求心が足を前へと進ませた。


 てむてむと、足音鳴らし、少女行く。


 歩く先にも異常は続く。

 空は徐々に淡さを、大地は逆に濃さをそれぞれ増していく。川に至ってはひんやり凍った水が、冷気をもわもわ放ってたりしていた。

 と――

「あれ、『まっくろ』?」

 唐突、しっかりと前を見ていた筈なのに、『まっくろ』は全くの不意打ちに訪れた。

 夜の霧……という言葉が一番合っているかもしれない。そんな境目のあやふやな壁が、少女を通せんぼしていた。

「行き止まり……かなぁ」

 途方に暮れた少女が、ふと川を見てみる。すると如何だろう。何かと温度変化の忙しい水は、まるで吸い取られるかのように、向こうへすぅっと消えていくではないか。

 もしかしたらこの『まっくろ』は通り抜けられるかもしれない。そう結論付けた少女は、恐る々々手で触れようと――

「お止しなさい」

 かけ声一つ。少女の指は、あわや『まっくろ』に触れる直前で止められる。

 場所が場所なだけに、少女は慌てて後ろを向いた。


「こんにちは、お嬢さん」


 そこにいたのは…………紳士、だった。

 シルクハットに片眼鏡。小洒落たステッキ腕に下げ……

 以前、少女が読んだ童話。それに出ていたおじいさん。素敵な、素敵なおじいさん。目の前にいるおじいさんは、まさしくそれだった。

 本に描かれているおじいさんを見たお母さんは、「あら、紳士さんね」と言っていた。だから、目の前の人も紳士に違いない。そう、少女は思ったところで挨拶をまだ返してないことを思い出し、紳士に微笑んだ。紳士も微笑む。

「こんにちは、紳士さん。あなたはだぁれ?」

「僕はキミサ」

「きみさ?」

「あぁ、少しばかりイントネィションが違うね。老精キミサ。それが僕。お嬢さんじゃなくて僕は僕。お嬢さんは、お嬢さんだよ」

「そうなんだ」

「そうなのさ」

 にっこり、またも二人は微笑み合った。

 現実にいれば怪しさ溢れるキミサでも、夢ならばファンタジックでメルヘンな老精だ。

 少女は、物怖じせずにキミサに尋ねることにした。

「どうして私が『まっくろ』にさわるのを止めたの?」

「それはね、ここがお嬢さんが見る夢の端の端だからさ」

「端の端って、じゃあここで終わりなの?」

「いやいやいや、先はあるさ……だけど、ここから先はお嬢さんの夢じゃあ無くなる。だから、それ以上はいけないんだ。お嬢さんの夢からお嬢さんが消えちゃったら、ここは、誰の夢でも無くなってしまうからねぇ。僕はちょっと、それを歓迎出来ないのさ」

 物腰は穏やか、でも、少女にはキミサが困っているように見えた。

「うぅん……だったら、私は行かないよ。キミサが困るんだったら、私は行かない」

「おぉ、それは素敵な回答だ。僕も毎夢の散歩コースが消えちゃうのはとても悲しいから、素晴らしく嬉しいよ。有難う。有難う」

 照れる少女。喜色の紳士。次いで、キミサは機嫌良い声で少女に申し出た。

「こんな端っこにいては、いつまでたってもお嬢さんに朝日は訪れないよ――もし、宜しければこの老いぼれ妖精が目覚めまで案内するが……如何だろう?」

 頷く。願ってもない。少女にはもう少し夢の中を見ていたい気もあったが、だからといってこのままずっとこんな不安定な世界に居続けるのは嫌だった。お化け屋敷に入りたがる人はいても、そこに住みたがる人はさほどいないだろう。例え自分自身の夢であっても……少女にとってはそれと大差なかった。

「ならばさてさて、加速度的な優雅さで行くとしよう。ごそごそっと――これだッ」

 どこから取り出したのか、キミサの手には猛々しくも優雅な姿をした。鳥の彫刻が施されている笛が一つ。

 フゥゥルリララララララ…………♪


 辺りに響く、笛の歌。遠く々々、何処までも。遠く々々、向こうまで……

 音が行き、聞こえなくなってしばらく――それは現われた。

「ミカカカカカカカッ」

 おかしな鳴き声、降りてきたのは大きな大きな…………

「かみの……とりさん?」

 キミサの笛からそのまま飛び出して来たかのような、車程の大きさがある鳥。紙で出来ているので妙に身体がカクカクしているものの、堂々とした姿は威厳に満ちていた。

 少女の呟きにキミサは誇らしげに同意する。

「そうさ、鳥さ、カミアラワシさッ。この子が真ん中まで僕達を送ってくれる――よッ」

 ひらりとカミアラワシの背に降り立つキミサ。少女に向って手を差し伸べる。

「――さぁ、どうぞ」

 お手を拝借、お嬢さん。キミサが誘う。

 ふわふわとした白手袋。少女は掴み、カミアラワシは――飛んだ。


 紙の鳥、夢を瞬き、空を懸け……


「うわぁ……」

 ため息一つ。少女は自分の夢に魅せられていた。

 カミアラワシはガサッガサッと羽を鳴らしながら、信じられない速さで飛んでいる。そのため、周りの景色の変化はめまぐるしい。

 風は不思議と無風に近く、少女が夢を見渡す事を邪魔しなかった。

 万色の空、大地。そして、点在する――『なにか』。

 何だろう、ちかくで見てみたい……ふと、少女が思った時、彼女を包み込むように座っていたキミサが、再び何かを取り出し少女に手渡した。

 それは望遠鏡。手のひらに収まるほどしかない小ささの望遠鏡。おもちゃのようなそれは、しかし少女を彼らに触れられそうな位まで近づかせてくれた。

 『なにか』は紙で出来たいきもの達だった。

 うさぎだった。猫だった。妖精だった。オオカミだった。竜だった。

 空想、現実区別なく。彼らは夢の住人として、確かにここにいた。

 それ自体に不思議はない。少女の不思議は別にあった。

「何でみんなまっしろなんだろう……」

 今、少女がのせて貰っているカミアラワシも他のいきもの達も、みんながみんなまっしろだった。それが、少女には不思議だった。

「それは、お嬢さんがまだまっしろだからさ」

「私が?」

「そう。人間って生き物は最初皆まっしろなのさ。だから、お嬢さんの中の生き物達もまっしろ。それが段々一色、二色と染まって行って……そして、最後は何だか良く分からない、ぐちゃぐちゃ色になっちゃうんだ。前に気紛れで行った夢は酷かったよ。うん、酷かった。実に酷かった」

 その時の事を思い出したのか、顔色悪くうんうんとキミサは唸っていた。それを聞いて、少女は恐る々々聞いた。

「……じゃあ、私が大きくなったらここのみんなは――ぐちゃぐちゃ色になっちゃうの?」

 身震い。言うと共にそれを想像して少女は不安になる。それはどうしようもなく恐怖で――


「だいじょうぶ」


 たった六文字、それだけ、それが何故か少女の震えを止めた。

「だいじょうぶ、君はきっとだいじょうぶ」

 静かに、穏やかに、されど確かに、キミサは言葉を繰り返す。

「君が君を忘れなければ、君は必ず――だいじょうぶ」

 キミサは笑う。少女には見えない。でも、でも少女は――笑い返した。

                    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

「ねぇ、キミサ」

「なんだい?」

「私、ケンカしたの」

「人生ままあることさ」

「どっちもわるいから、どっちもあやまらないといけないんだけど」

「皆がそうだよ」

「そうだね。だけど、その子とはあんまりなかよくないの……そういう時、どうすれば良いかな?」

「…………なるほど、それを悩みっぱなしで寝てしまったんだね」

「うん」

「道理であんな端っこにいる訳だ。夢に悩みは持って来ちゃあいけないよ。夢が歪んでしまうからね」

「うん……ごめんなさい。キミサ」

「いやいや、僕は全然構わないさ。お嬢さんに会えた。夢で夢の主に会えることは僕にとって随分と久しぶりだったからね。大歓迎だよ」

「……ありがとう。私もキミサに会えて良かった」

「――それで、良いんじゃあないかな?」

「え?」

「『ごめんなさい』、『ありがとう』、それと、もう一つ。誰だから、如何だから……そんなもの、関係ないよ。それさえ言えれば、ここでも、何処でも、向こうでも、お嬢さんはずっとお嬢さんなのさ」

「……うん。分かった――『ありがとう』キミサ」

「どう致しまして、お嬢さん……では、最後の最後を教えよう。とっておきの、もう一つを…………それは――」

「それは?」













「『おはよう』さ」







 浮上する少女の意識。

 夢から現実へ飛び出したと同時、少女の目は開かれ、そして……




 ――朝に少女が、微笑んだ。
おしまい……?





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