そよそよ、かさふわ……

サムフィとゼグリト


 サムフィそよそよ、ゼグリトかさふわ。大体彼らはそうでした。
 サムフィはこどもの風で、ゼグリトは緑と茶のまだら模様をした一枚の葉っぱです。
 彼らはずっと一緒に旅をしています。どのくらいかと言うと、サムフィがお母さん風からはぐれてしまった頃からです。
 こうこうと泣いているサムフィに、大きな木の枝についていたゼグリトが「どうしたんだい」と声をかけたのが始まりで、サムフィはお母さん風の元へと帰るため、ゼグリトはまだ幼いサムフィをお母さん風の元へと送り届けるため、彼らは旅をしているのでした。
 そして、今日も……

 「おはよう、おはようゼグリト。おそらがとってもむらさき色できれいだよ」
 朝、サムフィがとても嬉しそうな声を出して、かさふわしているゼグリトを起こします。
 「――あぁ、雲が一つも無い。こういった日はとてもそよそよしやすいぞ」ゼグリトがそう呟きました。
 「やったやった。ゼグリトは何でも知ってるね」サムフィが喜びと感心の声で言いました。
 ゼグリトは物知りで、サムフィにいつもステキな事を教えてくれます。
 朝のように明るい夜があること。平らな地面が実は丸いこと。空を飛ぶ大きな大きなのっぺらぼうの鳥は「ひこうき」と言って、とてもとても硬くて、ニンゲンがたくさん中に入っていること。などなど、他にもいっぱい教えてくれます。
 でも、ゼグリトはそれを自慢した事がありません。前に、サムフィが。
 「ゼグリトはすごく賢くて、えらいんだね」
 と言った時も。
 「私が賢くて偉いんじゃない。皆がそうなんだよ。私はそれを借りているだけさ」
 と、身体をかさふわ揺らしながら言うのです。
 だから、サムフィはゼグリトの事が大好きでした。
 分からない事を、知りたい事を、優しく何でも答えてくれるゼグリトが大好きでした。
 そして、そんなゼグリトと一緒に旅をする事が出来る自分がとても誇らしく思えたのです。
 ですが、サムフィは不安でもありました。それと言うのもここ最近、ゼグリトの元気が無かったからです。前まで緑と茶が半分だったのに、今は葉っぱの大半が茶色くて、かさふわの音もかさかさの方が多くなって来ました。サムフィがたくさん何かを覚えていく度に口数がどんどん減っていくゼグリトを見ていると、サムフィは何だか自分がゼグリトの元気を吸い取っているような気分になってしまいます。
 でも、それを言うとゼグリトは「大丈夫さ。それもまた当たり前の事なのだから」と、いつもよりもっと優しい声で言うのでした。
 そよそよ、かさふわ。今日も彼らはそうでした。
 でこでこした山を越え、さわさわした川も越え、彼らは旅を続けます。
 空はまっさお雲一つ無く。ゼグリトが言った通り、とてもそよそよしながらサムフィは空を進んで行きます。
 そして、彼らが広い原っぱの上を通りかかったその時です。
 「おぉい、おぉい。風さんちょっと来ておくれ」
 下の方から自分を呼ぶ声が聞こえてきたのでサムフィがそちらを見てみると、そこには彼が見たことも無い花がたくさん咲いていました。根っこや葉っぱはタンポポに似ていましたが、花びらがなくて何だかさっぱりしていました。
 その内の、一つだけ真っ白なふわふわしたお花――自分を呼んだお花に、サムフィは訊ねます。
 「こんにちは、こんにちは。真っ白ふわふわなお花さん。あなたのお名前なんですか?」
 「おやおや、私をお知りでない。ごらんの通り、タンポポですよ私は」
 不思議がりながらもそう答えたタンポポだと言うそれに、サムフィは自分がひどく馬鹿にされたような気がして、少しとげのある返事を返そうとしましたが、それに気付いたゼグリトはそれをさえぎるように言いました。
 「サムフィ、君はタンポポを黄色い時にしか見たことがないから知らないのも当然だよ。それに、白い花は花じゃないんだ。よぉく見てごらん」
 それを聞いてサムフィはもう一度白いところをよく見てみました。
 すると、そこから小さなたくさんの声が聞こえてくるではありませんか。
 「ぁゃぁゃぁゃぁゃ」そんな風にサムフィには聞こえました。
 「どうです。私のこどもたちは、可愛らしいでしょう?」タンポポが少し得意げに言いました。そうです。白いふわふわはタンポポの小さなこどもたちだったのです。
 綿毛をふるふるとふるわせて「ぁゃぁゃぁゃぁゃ」とないているこタンポポたちの声を聞き、サムフィは自分のお母さんの事を思い出してしまいましたが、ゼグリトのかさふわが聞こえたので落ち着くことが出来ました。
 ゼグリトが訊ねます。「それで、タンポポさん。一体どうしんだい」
 それにタンポポはこタンポポたちと一緒にふるふる身体を揺らして言いました。
 「風さん、サムフィさん。お願いです。どうか私の小さなこどもたちを一緒に連れて行ってはくれませんか」
 それを聞いて驚いたのはサムフィです。だってこんなに小さなこタンポポたちを何処かへとやろうとしているのです。お母さんと離れ々々になってとても哀しい想いをしたサムフィにとってそれは、信じられない事だったのです。
 「どうしてつれて行ってなんて言うの? まだこんなにちぃさいのに」サムフィの言葉にしかしタンポポは悲しむどころか楽しそうに言うのでした。
 「サムフィさん。これはとてもステキな事なんです。それは勿論、お別れする悲しみもあります。でも、それ以上に嬉しいのです。これは、鳥の巣立ちとおんなじな、大事でステキな事なんです」
 それを聞いてしまったサムフィはなんにも言えなくなってしまいました。そよそよする事しか出来ません。ですが、その次のタンポポの言葉によってサムフィはこれまで以上に驚く事になりました。
 「お願いです。お願いです。他のこたちはこの前通りかかったレシアさんと言う大きな風に運んで貰ったのですが、私は白くなるのが遅れてしまった所為でこどもたちを運んで貰えなかったのです」
 お願いです。お願いです。と、周りのタンポポ達も言い出しました。それを聞いたゼグリトは困りました。自分たちも回り道をしている余裕はありません。どうしようか……悩んでいた。その時です。
 「――わかったよ。僕達、こどもたちを運んであげる」サムフィが言いました。
 「おぉ、それはそれはありがたいっ、どうかお願いします」
 お礼を言うタンポポの声を聞きながら、ゼグリトはサムフィの方に目を向け、問いました。どうしたんだい、と。
 「ごめんなさい。ゼグリト、かってに色々決めちゃって」申し訳なさそうにサムフィが言います。
 「それはいいさ、私は君について来ているだけなのだから。私が言いたいのはお母さんと会えるのが少し遅れるんじゃないか、と言う事さ」
 ゼグリトの忠告に、サムフィは答えました「大丈夫だよ」
 だって――レシアはサムフィのお母さんだったのですから……

                    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 サムフィとゼグリト、そしてたくさんのこタンポポたちは空を……サムフィのお母さんが飛んで行った方へと向かいます。
 サムフィの頭の中は、お母さんのことでいっぱいです。
 もうすぐお母さんに会える。もうすぐお母さんに会える。胸の内で呟く度に、サムフィの心はかっかと熱くなるのです。
 それを見つめていたゼグリトの瞳はいつものように優しげで――ほんの少し、寂しげでした。
 そよそよ、かさふわ、ぁゃぁゃぁゃ。彼らは空を、流れます。
 平原を、小川を、森林を、山岳を――そして……
 「あと、すこしだね」サムフィが期待に胸を膨らませながら言いました。
 サムフィ達はとうとうあと少しの所までやって来ました。
 ですが、油断は出来ません。深い深い谷が目の前にそびえているのです。
 そこは、大きな大きな暴風の寝床となっていて、サムフィなんか寝返り一つで吹き飛ばされてしまうと、ゼグリトが前に言っていた所なのでした。
 「……私は回り道をオススメするよ」ゼグリトが真摯にサムフィへ語りかけます。
 広くて大きな谷を回り道するのですから、とても時間が掛かります。でも、谷を通るよりも遥かに安全でした。
 ……ですが、サムフィはそれにふぉんふぉんと首を振ります「それはダメだよ」
 いつもならばサムフィはゼグリトの忠告に従ったでしょう。ゼグリトの言う事はいつも正しかったのですから。
 それでも、今のサムフィにとって回り道をする事は考えられない事でした。だって、もしかしたらその間にお母さんは何処かへ行ってしまうのかも知れないのです。
 ――サムフィは、暴風の中へ飛び込んで行きました。
 しゅごぉぅう! しゅごぉぅう! 暴風のイビキがサムフィ達へと襲い掛かります。
 今にも吹き飛ばされそうな所を、サムフィはお母さんに会いたい一心できゅぅっと身を強張らせて耐えながら進んで行きました。
 こタンポポたちは始めて聞くうねり声に、白い綿をふるふると震わせています。ゼグリトは、そんなこタンポポたちをあやしながらかさりと呟きました「何もなければ良いのだが」
 ゼグリトの心配も知らず、サムフィは進んで、進んで、進んで……
 ――やがて、谷の出口が見えて来ました。
 これでようやくお母さんに会える。そうサムフィが思った。その時です――暴風が、全くの前触れも無く寝返りを打ったのです!
 今までで一番強い衝撃がサムフィ達を揺さぶります。さっきまでなら耐えられたでしょうが、サムフィは出口が見えた事で僅かに力を抜いてしまっていました。だから…
 「ぁゃぁぁっ」こタンポポの悲鳴が辺りに響き渡ります。こタンポポたちの内の一種がサムフィから引き剥がされ、外へと飛び出てしまったのです。
 「しまったっ」サムフィからも悲鳴がもれた。その時です。茶色い影がこタンポポを優しく受け止めました。
 ――茶色い影はゼグリトでした。ゼグリトはこタンポポを受け止め、ふわりとサムフィの元へと戻ってきます。
 「やれやれ、危なかった……サムフィ」
 ゼグリトの声にサムフィはふるりと身を震わせました。怒られてしまう。そうサムフィは思ったからです。
 ですが、ゼグリトはいつもと同じ……いえ、それ以上に穏やかな声色でサムフィに語りかけました。  「サムフィ、焦る事は決して悪い事じゃあない。だけど、それだけじゃ駄目なんだよ。特に、今はこタンポポたちが一緒なんだ。もう少しであのこタンポポは、君とおんなじになる所だったかもしれない」
 ゼグリトに言われ、サムフィは戻ってきた事を祝うこタンポポたちの方を見ました。
 ぁゃぁゃぁゃと、皆とても嬉しそうです。それを見てサムフィは、もしあのままこタンポポが飛ばされてしまっていたら、と考えました。
 ひとりぼっちのこタンポポ。そして、兄妹と離れ々々になってしまうこタンポポたち……それは今の自分と何一つ変わりません。
 サムフィは、気付きました。ゼグリトが助けに行かなければ取り返しのつかない事になっていた事を……!
 「ごめんね、ごめんねこタンポポたち」サムフィはこタンポポたちに謝りました。
 「ぁゃぁゃぁゃ」大丈夫だよ、心配しないで。そうこタンポポたちは口を揃えているようでした。
 「ありがとう……」サムフィがはにかみながらお礼を言います。
 その様子を見ていたゼグリトはがさがさと嬉しそうに身体を震わせました。
 「そうだ、サムフィ。それで良い。その言葉はとても大事なものだ……さぁ、今度はしっかり確かで安全に――出発だ!」

                    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 谷を抜け、サムフィ達は進みます。野原に向かって、進みます。
 ふと、サムフィは懐かしい風を感じました「お母さんだ。お母さんがいる!」
 谷を通ったおかげで、サムフィはなんとかお母さん風に追いつく事が出来たようです。
 「ゼグリト。僕、お母さんに会えるんだっ」嬉しそうに、本当に嬉しそうにサムフィはゼグリトに向かって語りかけます。
 「……あぁ、そしたら今まで旅した事をいっぱい……いっぱい話してご覧。きっと君のお母さんは笑顔で聞いてくれる。お母さんとはそういうものだからさ……」
 「……ゼグリト。大丈夫なの? 声がすごく変だよ」
 ゼグリトの声はとてもがさがさしています。途切れ途切れになった声を聞いて、サムフィはどうしようもない程不安になりました。
 それにゼグリトは、いつもと変わらない優しさを込めて言います「……私は大丈夫さ……さぁ、早く行かないと……お母さんが行ってしまうかもしれないよ」
 「……うん」サムフィはそれ聞いて益々不安になりましたが、ゼグリトが言った事も確かなので、お母さんの下へと流れて行く事にしました。
 そよそよ、がさがさ。
 「ゼグリト、何処にも行かないでね。約束だよ」怖くなったサムフィが、語りかけます。
 そよそよ、がさが――

 「――あぁ、私はいつも君と一緒さ」ゼグリトは、ふわり、と言いました。

 ……それと同時に、がさがさという音が聞こえなくなりました。
 サムフィがゼグリトの方へ目を向けると、そこにもうゼグリトはいません。茶色いかけらが漂っているだけでした。
 「……ゼグリト?」

 誰も、何も答えてくれませんでした。

                    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 そよそよ、そよそよ、サムフィはお母さんと旅をします。
 ……ゼグリトと別れてから、サムフィは泣きました。たくさんたくさん泣きました。お母さんの事も、こタンポポ達のことも、その時だけは何もかもが空っぽで、何にもなくて、ただゼグリトの事だけでその空っぽが埋め尽くされて。サムフィはゼグリトと初めて会った時のように、こうこうと泣き続けました。
 こうこう、こうこう、たくさん泣いて……ふと、サムフィは気がつきました。自分の風音にかさかさと乾いた音が混じっているのを……!
 だから、サムフィはへいっちゃらでした。辛くて悲しくてもへいっちゃらでした。
 だって……ゼグリトは、ゼグリトはサムフィといつも一緒なのですから。
 そよそよ、かさふわ。今日も彼らは――そうでした。




おしまい





上へ 前話へ 目次へ 次話へ 下へ