――五つ。
六つ、七、八、九つ、十……
飛ぶ飛ぶ吹っ飛ぶ黒が飛ぶ。それはまるで砲弾のように。
空で放物線を描いたそれは、やがて無機質なコンクリートへと落ちて行く……
大地と黒の衝突音が、昼下がりの商店街に次々と響き渡る。後にはただ、逆さまで地面に突き刺さった黒による。奇妙なオブジェが出来上がっていた。
ちょっぴり痙攣している彼らを見る度に《ヨシヒト》は思う。
いくら相手が『戦闘員』だからって、これはあんまりじゃあないか、と。
そんな事を胸中で呟いている間にも、黒の砲弾――まっくろ全身タイツ姿の男達は、絶え間なく発射されていく。
ヨシヒトはそれに同情しつつ、元凶である『砲台』に眼をやった。
身体すべてを覆う白の装甲。顔を隠す流線型のヘルメット。そして、頭部にちょこんと付いた……うさ耳。
ヒーローだった。これでもかって位の、変身ヒーローだった。
「はーはっはっはぁ! ラビットォ……スマッシュ!!」
笑うヒーローは高らかに、か弱い戦闘員達へと容赦ない必殺技をぶち込んでいく。逃げる悪党、追うヒーロー。どっちが悪か、分からなかった。
(なんだかねぇ……)
軽くため息を吐き、ヨシヒトは植えられた戦闘員達を『収穫』していく。急がないとまた、色々と逞しいちびっこ達に虐められるかも知れない。
「よぉ」
「あ……ども《サメジマ》さん」
ぼこん、ぼこんと、ヨシヒトが黒タイツを引っこ抜いていると、人のようなサメが声をかけながら手伝いに来た。いの一番に吹っ飛ばされたサメ型怪人だった。
「いつもすまねぇな」
「いえ――なんかもう、慣れてきましたし」
「……お前も、大変だな」
のっぺりした顔が、心なしか気の毒そうな形を取る。
(サメに同情される俺って……)
深くは考えない方が良いかも知れない。今度は投げやりなため息を吐きながら、ヨシヒトは力なく呟いた。
「――ま、クラスメイトなもんで」
ヒーロータイムは1コイン!?
「海鰐うさ子。ヒーロー名はラビットファイアー。特技は変、身ッ! 以上、ヨロシク!!」
それが『彼女』――《ウサコ》の第一声だった。
つい一カ月程前、何の因果か平凡なる私立高校へとやって来たこのフルアーマー転校生は、固まった空気の中で誇らしげにヒーローを自称し……次いで、ツッコミてんこもりな身の上話をし始めた。
曰く、自身は先祖代々続く変身ヒーローの家系であり、この町に悪の有限会社『悪の幸』の魔の手が伸びようとしているからやって来たやらうんたらかんたら……
何で少女なのにヒーローなんだとか、そもそも変身ヒーローなら忍んでろよ! などのクラスメイトによる心の叫びをひしひしと感じながら、その時のヨシヒトは思った。
(か、かかわりたくねぇー)
と。
――とまれ、変身ヒーロー少女。ラビットファイアーウサコとのファーストコンタクトは、そんなものだった。
(それがどうしてこーなっちまったのか……)
思えば、たまたま隣の席が空いていたのが全ての始まりだった気がする。少なくとも、それが元でヨシヒトはウサコに色々と関わる事になり、今日もこうして、超人怪人が跋扈する訳の分からない非日常に巻き込まれているのだから。
(しかも慣れて来たってのがまた……麻痺だよなぁ、これ、麻痺。あーやだやだ)
正直、こんな特撮じみた異常な日常なんかごめんだった。それこそ、そんなものは創作の中だけで充分だと――今でもそう、彼は思っている。そう、その筈なのだ。
そう思いながらも、未だにウサコから離れられないヨシヒトがいる。
(なんだかねぇ……)
分からない。さっぱり分からない。目の前の『ソレ』が、自分にとっての何者なのか。
ファミレスの隅のテーブルに向かい合って座る制服姿の二人。一人はヨシヒト、そして――
「……あむ」
あむ、あむ、あむ、あむ。
ジャンボなパフェをつつく。ウサコが一人。
変身はしていない(と言うか、入店前に解除させられた)。高校生にしては少しだけ背が小さいものの、そこにいたのは極々普通の女の子だった。
「いっつも思うんだが、そのおばけパフェ。そんなにうまいのか?」
「……おいしい、です」
「……」
「……」
「そっか」
「……はい」
短めのポニーテールをぴょこんと跳ねさせ、恥ずかしげに頷くその姿にいつもの快活さはない。それでも、以前と比べれば随分とマシになったとヨシヒトは思う。
何せ、最初はりんごみたいに顔を真っ赤にして、一言も喋ろうとはしなかったのだから……
普段、ウサコが変身し続けているのは、何も変身途中の隙を突かれるからとか、そういったものではない――恥ずかしがり屋さん。全てはその一言に尽きた。
元々内気で極度の上がり症だったウサコ。そんな彼女がヒーローでいられるのは、あくまでラビットファイアー変身セットの力によって、常に前向きハイテンション状態が維持されているからに過ぎない。
そのため、常に膨大なカロリーを消費する彼女は、怪人達が現れる度。こうしてファミレスなどで失ったカロリーを補給しなければならなかった。
――ラビットファイアーから、ただのウサコに戻って。
(ほっとけねーよなぁ……)
クリームの山を着々と征服していく、兎みたいな少女を見る。
鼻にちょこんとパフェの欠片を乗っけたウサコに向けて、ヨシヒトは何とも言えない表情を浮かべ、そう結論付けた。
(ま、いいか)
どのみちラビットファイアーに敵は無し。例え怪人が襲いかかって来たとしても、変身している彼女といる限りヨシヒトに危険な事は一つとてないのだ。
帰りに少し懐が痛むくらい、どうって事はない。
――そう、そう思っていたのだ。その時は。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
それは、翌日の学校で起こった。
昼休みも終盤に差し掛かりすっかりと人影も少なくなった頃。ヨシヒトはホクホク顔で教室に帰ろうとしていた。
――理由は、百円で手に入れた二本の缶コーヒーだった。
昨日、ファミレスの会計時にサイフの中身が心許無い事に気付き、ウサコから五百円玉を借りたヨシヒトは今日、それを返すために自販機でお札をくずし……アタリを引いたのである。
(利子代わりに渡すとするか)
どのみち一人で二本はきつい。だったら少しくらいサービスするのも、悪い気はしなかった。
自分の分の缶コーヒーを飲みながら歩く、微糖だ。そして、甘い物好きのウサコには新商品の甘ったるい缶コーヒーを。
廊下を渡り階段の踊り場に差し掛かった所で、窓ガラス越しにグラウンドの方から喧騒が聞こえて来た。
耳を澄ませば聞き覚えのある怪人の声と、これまた聞き覚えのあるヒーローの声が。
(コーヒーは放課後だな、こりゃ)
苦笑いを浮かべる。それなりに騒がしいのに、生徒も教師も誰一人、慌ててはいない。
基本的に商店街やら公園やらに現れるサメジマ達であったが、こうして時々ラビットファイアーを亡き者にしようと直接学校に乗り込んでくる事を、彼はおろか学校中が知っていたからだ。
最初こそ驚き興味本位で観戦する人々がいたものの、さすがに一ヶ月近くも続けばそんな異常は容易く日常へと変わっていく……そんな訳で、今では戦闘が始まっても一部の特撮好きが熱い視線を寄せる位のものであった。
(やれやれ……)
また戦闘員達を救助しないと。そんな呑気な事を考えながら、窓からグラウンドを見て――固まる。
飲んでいた缶コーヒーが、手から、落ちた。
「なんでだよ……」
戦闘員達が円になり、その中でサメジマが一人、ラビットファイアーと対峙する。いつも通り、何も変わらないお約束の光景だと言うのに……一つだけ、違う。
馬鹿々々しい程の、あの快活な笑い声が聞こえない。
黒い輪っか。その中には、変身ヒーローではない、ただのウサコがいて――
気付けば足が、動いていた。
(何で俺、走ってんだ……)
階段を忙しなく降り、走っては行けない廊下を全速力で突き抜けながら、どこか他人事のように思考する。
もしかしたら、さっきの光景は何かの誤解なのかも知れない。そんな楽観が頭を過ぎる。否定する。それだけはあり得ない。
彼女はピンチなのだ。そうでなければ、あのウサコがあんな目立つ所で変身を解く筈が無かった。
そして――
(何で、俺だけなんだよッ)
それをこの学校では自分以外――本当のウサコを知っている自分以外、誰一人とて気付かない事も。
(だからって、俺が行ってもどうしよーもねぇのにッ!)
思い出す。屈強な手下達を、凶悪なサメ怪人を……
いつも傍から見ていただけで。いや、だからこそヨシヒトは『彼ら』の凄さを知っていた。ラビットファイアーが強すぎるだけで、サメジマも、情けなく吹っ飛ばされている戦闘員達も、本当は皆、恐ろしい力を持っている事を。
普段の怪人達に対するヨシヒトの余裕も、所詮はラビットファイアーがいるからだ。
その彼女がただのウサコに戻っている以上。常におまけだった自分が行った所で、何が出来るとも彼自身、思えなかった。
なのに、ヨシヒトの足は前へ、腕は、前へ。
校舎を出、グラウンドへと至る道を駆ける。自問する。どうして、どうして、あぁもう、どうして――
(どうしてこんなに、ほっとけねぇッ!!)
何時も、あの訳の分からないヒーロー思考でご町内の危機だと言い出しては、町中を引っ張りまわすハタ迷惑な奴なのに。
そのくせ、ただのウサコに戻ってみれば、見てるこっちがハラハラする位情けない奴なのに。
それなのに――!
(ほんと、なんでか……)
腕を振り上げる。その手には『ウサコへの利子』が。
「ねぇッ!」
スチール缶が飛んで行く。
鈍い音が、響いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
サメジマは頭を悩ませていた。
(どーすんのよ。『コレ』……)
昨日、いつものようにラビットファイアーに敗れた彼が会社へ戻ると、上司のイカ型怪人によるお説教が待っていた。
やれ侵略者としての誇りはあるのかだの、やれお前のノルマ不足が出世に影響――もとい、部署全体が迷惑を受けるのだの、ヌルヌルネチネチと言われ続け……終いには、今度失敗したら減俸だと告げられた。
正直、嫌われ上司の出世街道なんかはどうでもよかった。が、さすがに減俸は困る。そのため、ちょうど通りかかった同期のマッドサイエンティストに頼み込み、試作段階の『ヒーロー解除光線銃』を貸して貰ったのだった。
――とはいえ。未完成だから数分程度しか効果は無いし、そもそも腐ってもヒーロー。変身しなくてもそれなりに強い。ましてや、相手はあの伝統あるラビットファイアーなのだ。用意して使ってはみたものの、精々が気休め程度の物としか考えてはいなかった。
(筈、だったんだがなぁ……)
眼の前には、大勢の戦闘員達による好奇の視線に顔を俯かせ、自分の身体をぎゅっと抱きしめている。ごく普通の少女がいて――
(これ倒せって何のイジメだよオイ)
侵略者の誇りがどうたら以前に、それは人としてどうなのだろうと、サメジマはわりと真剣に頭を抱えた。いや、サメだけど。
勿論、これまでの事を考えれば憎くないと言えば嘘になる。なるのだがしかし……
(えぇい、クソッ! こっちだって守りたいモンがあるんだよ!)
良心と生活費の間でブレまくった針は、買ったばかりの大型二輪車のローンによって極々僅差で静止した。
意を決したサメジマは、自慢の歯を剥き出しにして少女へと襲いかかる。
「ひッ」
身を竦める少女。手が止まる。周囲を見渡せば、いつも吹っ飛ばされている筈の黒タイツ達の視線も、何故か冷たい。
「あ、えー……うん。ふはははは、きょうがねんぐのおさめどきだ。らびっとふぁいあーかくごしろー」
思いっきり、棒読みだった。
と――
『ねぇッ!』
遠くから、聞き覚えのある声……そして、衝撃。
「――あ、がッ!!」
あまりの激痛に声が出ず、暫し悶える。
やがて、痛みが引いたサメジマは少女から飛び退き、周囲を見渡しながら戸惑いの声を上げた。
「な、何だぁ!?」
「『アタリ』だよ」
声は後ろから、慌てて振り帰るとそこには――
(青春だねぇ)
自身などどこ吹く風と、少女の元へと駆け寄る突然の乱入者に――サメジマは少しだけ救われたように、ニヤリと笑った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
どうして……
それが彼を、ヨシヒトを見たウサコの脳裏に浮かんだ疑問だった。
イイ人だった。たまたま席が隣だった所為で、変身時の強引な性格の自分に町中の至る所に連れて行かれては騒動に巻き込まれたと言うのに。悪態を吐きつつも、結局はいつも最後まで付き合ってくれた。
イイ人だった。変身が解ければ、ただの口下手で臆病な自分など放っておいた方が良いに決まっているのに。態々二人分のメニューを頼んでは、食べ終わるまでの長い時間を一緒に過ごしてくれた。
――そう、イイ人なのだ。それをウサコは知っていた。感謝していた。ラビットファイアーとしても、ただのウサコとしても。
だから、問いかける。
「どう、して……」
イイ人で、それだけで十分だった。だって、今まではそれさえも無かったのだから。変身セットが無ければ何も出来ない半端なヒーローに、それ以上は、もう――
……なのに。
「変身。出来ないのか?」
どうしようもなく力強い声に思わず頷き、しばらく変身出来ない事まで告げてしまう。
「後、どれくらいだ」
ウサコは反射的にブレスレット型の変身装置へと眼を向けた。
「……『三分』」
「三分なぁ……長いんだか短けーんだか」
頭をかき、ぼやくヨシヒト。それでも足は、彼女を庇うように前へ――
「三分五百円のヒーロー代打だ。来いよ。軟骨魚類……!」
精一杯の啖呵。それはきっと、かっこつけの蛮勇でも愚行でも、無い。
(……あ)
だって、後ろから見た彼の足は、微かに震えていて――
(駄目ッ!)
止めたいのに、守りたいのに。
後、ほんの少しの勇気が……!
ウサコには、まだ、足りなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
殴られ、みっともなくごろごろと転がる……これで、何度目だろうか。ヨシヒトは数えようとして、止める。
(どうでもいい)
痛かった。体中ぼこぼこで、焼ける位に痛かった。喧嘩なんて、小学生の頃以来だった。
(やっぱり世の中、ラブ&ピースだよなぁ。なんかいろいろ痛ぇし……)
それでも、足に力を入れる。だってまだ、ヒーロータイムは終わっちゃいない。
「馬鹿だなぁ……お前」
呆れたようにサメジマが言う。御尤もだった。変身ヒーローはウサコで、ヨシヒトはただの一般人。比べるまでもない。当然だ。
(だから何だってんだ)
徐々に立ち上がる。何だかんだ言ってもその間。眼の前の怪人は手を出して来なかった。それどころか、連れている戦闘員達をけしかけもしない。痛いけど、甘かった。
「あんただって……立派な、馬鹿じゃねーか……」
「――へッ、違いねぇ」
苦笑するサメジマに笑い返そうとするが、身体がグラつき、倒れそうになる。
でも倒れない。倒れるわけがない。
「……何でそんなに頑張る。その嬢ちゃんはヒーローなんだ。変身なんかしなくたって、お前さんよか十分強い。守ってやる必要なんか、無いんだぜ?」
「――そう、かもな」
ため息交じりの問いかけに相槌を打つ。それでもまだ、挫けぬ足が、それを否定する。
「けどよ。ヒーローだからなんだってんだ。強いからって、一人で何でも出来る訳ねーんだ」
ヨシヒトは知っている。そんな強くて、情けないヒーローがいる事を知っている。
ヨシヒトは知っている。ヒーローにだって、ヒーローが必要な事を知っている。
そう、後ろの彼女が教えてくれた――!
「だったら」
だから!
「ヒーロー助けて……『ウサコ』助けて何が悪いッ!」
「ッ……」
何所かで、息をのむ声が――
「よく言ったッ!」
振りかざされるサメ肌の豪腕に、ヨシヒトは反射的に眼を閉じる。
(……?)
痛みが、何時までたっても来ない。それに訝しんで、眼を開けた。すると。
「なッ!?」
暴力が、静止していた――それを掴む、『ただの』小さな掌によって。
サメジマの驚愕の声を聞きながら、ヨシヒトの意識は薄れていく。
最後、目の前で変身していく兎みたいな少女を見て。彼は……笑った。
(やれば出来るじゃねーか。なぁ――)
グラウンドの土の冷たさが、やけに心地よかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
眼がさめると、そこは保健室だった。
(なんだかねぇ……)
胸中でぼやく、さっきまでいた保険医の先生はいない。手短に診断結果をヨシヒトに告げた後。『お邪魔』だろうからと言って、にこやかに退出していった。
後で詳しい検査は必要だが、幸い見た目こそ酷いものの、怪我そのものは大した事がないらしい。どうやら文字通り、手加減されていたようだ。
(サメジマさんに感謝……なのか?)
襲いかかられた侵略者に礼を言うシュールな自分を想像して、微妙な顔になる。が、結局、彼への対応は今度出会った時に考える事にした。
何せ、今はそれどころではないのだから――
(なんだかねぇ……)
再びぼやき、ヨシヒトは『お邪魔』の原因である。右腕の重みに意識を向けた。
小さな掌によって右手は挟まれ、その先の腕にはこれまた小さな頭が圧し掛かっている。おまけに、それはすやすやと気持ち良さそうに寝息を立てていて……
ウサコだった。どうやら、看病をしてくれている間に入れ違いで眠ってしまったらしく。それを彼は先生に茶化されたのだった。恥ずかしい。すごく、恥ずかしい。
(どーしよ……これ)
起こさなければそれはそれでややこしいし、起こしてもまた、ややこしい。
どちらにすべきかうんうんと頭を捻っていたヨシヒトだったが、やがて訪れた睡魔により、結局は投げやりな結論を出した。
(ま、いいか……)
せっかく慣れない事をして頑張ったのだ。もう少しくらい良い目を見ても罰は当たらないだろう。
そんな事を考えながら眠りにつく。
夢に落ちる寸前、ウサコの声が聞こえた気がした。
「ありがとう。私の――『ヒーロー』」
ヒーローも案外、悪くない。
おしまい